「私のビジョン」 株式会社Purim 代表 西田 乙美氏

新しい生き方インタビュー

代表・西田乙美さんは、昭和55年よりデザイナーとして、株式会社ハレルヤに勤め、平成元年にフリーデザイナーとして「Freedom Sprint Design room」を立ち上げられました。

平成19年よりデザイン事務所「eclat」を開所し、大手商社と協働し、多くの国々を廻りながら、ファッションデザイナーとして活躍されました。

平成23年より母親が開所した街かどデイハウス愛の家の代表に就任し、デザイナーと街かどデイハウスの事業運営のダブルワークをしておられましたが、その後デザイン事務所は後任の方に託されました。

平成25年4月より株式会社Purimを立ち上げ代表取締役となり、平成26年4月シャロームケアサポート愛の家(訪問介護事業所)をスタート。福祉有償運送の必要性を感じ、また総合事業が開始されるにあたり平成28年12月より特定非営利活動法人を立ち上げて代表理事となられています。

また近年「みんなの家」を開所。1階はデイサービス事業・2階はシェアハウスとして利用者の方に提供し、高齢者の介護事業と障がい者福祉事業に意欲的に取り組んでおられます。

以前はファッションデザイナーという職業をしておられましたが、介護事業を始められた経緯について教えてもらえますか?

この仕事を始める前はデザイナーをしていたため、高齢者に対する事業は大切だということは分かっていましたが、あまり強い興味はありませんでした。自分の親が介護が必要になってくる時に備え、勉強をしておかないといけないな、というくらいの思いでした。しかし母が街かどデイハウスを立ちあげて、数年で具合が悪くなり、私がその事業をお手伝いすることとなりました。

街かどデイハウス事業とは

地域で高齢者の自立した生活を支え、地域のセーフティネットとしての活動を支援するものとして、大阪府の発案により開始された事業。 住民参加型非営利団体等が運営している。

健康チェック・レクリエーション・創作活動等のさまざまなメニューを組み合わせたサービスを提供している。

サービスメニューは、絵手紙教室、パソコン教室、習字教室、写経、水彩画、色鉛筆講座、手芸、編み物、パッチワーク、工作、押し花、折り紙、俳句、大正琴、英語教室、フラダンス、ヨガ教室、ストレッチ体操、カラオケ、麻雀、囲碁、将棋等 (各施設により異なります)

私はデザイン事務所を立ち上げており、一流商社の方々と一緒に仕事をさせて頂いていたので、仕事に対する厳しさはほとほと体験していました。しかし、デザイン事務所を引き上げ、街かどデイハウスに入り浸って作業をする中で、仕事のリズムの違いを強く感じ、なかなか馴染めませんでした。スピード重視の世界から、非常にスローな仕事への変化で、大きな戸惑いがありました。

けれども、そこで1年間ずっと働いている中で、街かどデイハウスにきて、利用者の方が新しいチャレンジをする中で、みんなが元気になっていっている、という事に気が付きました。「愛の家」は「元気を与えることができる場所」なんだ、ということが分かりました。

でも、どこの街かどデイハウスも運営が大変で、ほぼボランティアで事業を実施している状況で、赤字状態の街かどデイハウスが多かった。また、補助金額が減額されたことで、さらに運営が厳しくなりました。「愛の家」の登録者は約500名で、そういった事業所が枚方市内11か所でサービスを提供しています。

枚方市内で65歳以上の高齢者は約11万人いてます。そのうちの約4,000人の方が街かどデイハウスに登録し、毎日遊びに来られてます。 この事業は非常に重要な働きであると私は自負しています。例えて言うなら、街かどデイハウスごとに、正社員1人分の給料額程度の補助金を交付することで、非常にたくさんの人がこの場所に集ってきて、元気になってきていると言えます。

「愛の家」も当時は赤字で、身銭を切って運営している状態でした。なんとか黒字化しようと、様々な工夫や改善をしていく中で、2年かけてやっと黒字化することができました。黒字になった為、街かどデイハウス事業は、知人に引き継いでもらい、今もサービスを提供しています。

枚方市サイト 「街かどデイハウス」

https://www.city.hirakata.osaka.jp/kourei/0000002176.html

街かどデイハウスの後、訪問介護事業をスタートされ、デイサービス事業もされてますが、どの様な経緯ではじめられたのですか?

街かどデイハウスに携わる中で、ゆっくりと流れる時を感じさせてもらいました。

もっと勉強しないといけないと思い、初任者研修を受け、訪問介護事業を始め、各家庭を訪問させていただく中で、高齢者の方の日常を支えることの大切さを学びました。

私たちが日常生活を支えることをしないと、生きていくことができない。そういう人を支えるのが、私たちの仕事です。日常生活を支えるのは、主婦の仕事ともいえるといえます。また介護保険という制度があることで、人を支えることで、自分達が生活できるということもわかりました。

訪問介護をしながら、次々と容態が悪化されている方を見ている中で、最終的に最後まで看取る施設を作りたい、という思いが溢れてきました。そういった中で、現在運営している「みんなの家」に出会い、障がい者の方を助ける事業にも出会いました。

高齢者の方に今後どのようなサービスが大切だと思いますか?

私たちは最終的には「看取り」、天国に行くお手伝いをしたいと思っています。このケアを始めた時に、お一人の方を、看取るという経験をしました。その時にとても崇高な思いを持ちました。最後に立ち会うってすばらしいことで、生から死の世界へ行くまでの時間を一緒に過ごす中で、そういうお手伝いができることが、すばらしいと感じました。

訪問介護はとても素敵な仕事だと思います。掃除の仕方・料理の仕方・洗濯の仕方などをお金もらいながら学ぶことができます。本当にいい仕事だと思います。私には3人の子供がいてるのですが、子育てをしている時に最高の女性ってどんなんだろうと思い、色々調べたことがあります。たくさんの女性が見つかりましたが、その中でも特に「エステル」さんという人が、特に素敵でした。

西田さんの考えておられるビジョンについて教えてもらえますか?

昔からの夢で「ターシャの庭」の様な場所を作りたい、ということがまずあります。

ターシャ・テューダー(Tasha Tudor、1915年8月28日 – 2008年6月18日)はアメリカの絵本画家・挿絵画家・園芸家(ガーデナー)・人形作家である。
彼女の描く絵は「アメリカ人の心を表現する」絵と言われ、クリスマスカードや感謝祭、ホワイトハウスのポスターによく使われている。

1972年、57歳の時に思う存分庭造りをするためにバーモント州南部の小さな町はずれマールボロに移り住み、19世紀頃の開拓時代スタイルのスローライフな生活を営んだ。およそ30万坪の広大な土地に、家具職人である長男セスはターシャの希望する年季の入った古びた家になるように18世紀の工法を研究し、たった1人で家を造り上げた。家と庭の一帯を「コーギー・コテージ」と呼び、電気や水道等、近代設備は最小限に留め暖炉とベッドとロッキングチェアー、薪オーブンがあるような質素な室内と古い道具を使う昔ながらの生活を実践した。一日の大半を草花の手入れに費やし、小花模様のドレスやエプロンを手作りし山羊の乳を搾り、庭でとれた果実で、ジャムやジェリー(透明なジャム)を作りパイを焼いたりした。

Wikipediaより引用

私は昔、環境問題にも非常に興味があり、15年くらいずっと勉強していた時期がありました。京都議定書やパリ協定が話題になっている時に、CO2削減の為、枚方市が黒のゴミ袋を透明のゴミ袋に変更しました。なぜこんなことをしないといけないのか?と疑問に思い、書籍等で調べたところ、日本くらいごみ焼却場がある国はなく、川から流れているダイオキシンの恐ろしさを知り、大変だと思い、環境問題に取り組んでいきました。マンションでボランティア部を発足させ、アルミ缶やペットボトルの処理しながら、氷河がなくなることや、サンゴ礁の危機などを伝えながら、勉強会をしていました。

その様な経験もあり、「自給自足をしながら、ターシャの庭のような自然に帰ろう」という思いがあります。また、太陽光パネルを敷き詰め、自家発電で回っていけるようなサイクルを作りたいとも思っています。

今、私の中では、4年後に奈良の高山や枚方の尊延寺などを候補地として、新しい空間を創るというビジョンがあります。

新しい施設のイメージ模型

1階は高齢者や障がい者の方に住んでもらい、2階にヘルパーさんなどサポートする人の寮を作りたいと思っています。今、国民年金だけでしかもらっておらず、生活が厳しい方が、日本には何万人もいます。その様な方に2階に住んでもらい、サポートのお手伝いをしてもらいながら、国民年金の支給分だけでも生活できる場を提供できればと思ってます。また、2階に住んでおられる方も、年をとるにつれサポートする側から、ケアを受ける側となっていきます。その場合は1階に移って頂くという、循環型の施設を考えています。

また、最近「農業」と「福祉」の連携という取り組みが始まっています。 自然農業をしている友人がいるので、新しい施設では、農業に特化している人に手伝ってもらい、私たちは高齢者の介護と障がい者の方の支援していきたいと思っています。 福祉と農業を組み合わせて、「ともに補いあう」ということができればいいですね。

畑で採れたもので6次産業もしたいです。果物の木をたくさん植えて、畑で採れたものを加工して、売りたいと思ってます。それはベーカリーレストランかなと思ってます。そのベーカリーレストランは、障がい者の方の作業所としての場所にしたいです。

先日ABCクッキングに行ってきました。その時、その空間が広々していて、とてもすてきだなと感じました。そういう空間を作って、障がい者の方と一緒に、楽しくパン作りができたらいいな。また、一般に人の憩いの場になればと思っています。

このように考えると全てが繋がってくるのです。次のところは私の終の住処でもあるので、最高にすばらしい空間を作りたいと思っています。

街かどデイハウスに来られている500人の方も、段々と悪くなっていかれる方もいてるので、そういう方を最後まで看取っていけたらと思っています。最後を「ターシャの庭」の様な緑あふれる、天国の花園の様な場所で、過ごして頂きたいです。

新しい施設のイメージ図

西田さんのエネルギーはどこから溢れてくるのでしょうか?

私は私の全てを完璧に捧げています。役立つことなら、私の全てを使ってもらいたいと思ってます。ほとんど自分の時間はないです。でもそれが楽しい。

今度、新しい服のブランドを立ち上げようと思っています。「高齢者の方」と「障がい者の方」と「介護をする人」の為の服のブランドです。寝たきりの人が着やすい服を、作りたいと思っています。ずっとデザイナーをしていましたので、中国の工場主の方などと繋がりがあり、私がお願いすればお話を聞いてくれると思います。8月に中国から来日されるので、その際にプレゼンする為に、タイトなスケジュールですが、準備をしています。

また、私は歌でみんなに夢を会える為、ゴスペルもやっており、今度コンサートにでる予定です。

様々なお仕事や活動をされていますが、時間はどのように捻出しておられるのですか?

時間配分はとても大切だと思います。特に「先の夢の部分に使う時間」はとても大切だと思います。

お忙しい中、貴重なお時間を頂きありがとうございました。

株式会社Purim    http://hp.kaipoke.biz/ysf/

会社の名前(Purim プリム)の由来

プリムの祭りは、ユダヤ人がペルシャの高官ハマンの策略から救われ、絶滅の危機を逃れた故事を記念する祭りです。「プリム」の語源はペルシヤ語で「くじ」を意味するプルからきたものです。ハマンがユダヤ人を根絶やしにする月を決めるために投げた「くじ」にちなむ名です。
朗読の中でハマンの名が出てくると、その都度会衆は非難の叫び声を上げます。この祭りでは、子供たちが仮装したり、「ハマンの耳」と呼ばれる耳の形をしたクッキー状のお菓子が用意されたりします。プリム祭は、子供たちが最も楽しみにしている祭りの一つです。

聖書入門.comより引用

編集後記

インタビューの為、「みんなの家」にお伺いしました。施設にご案内頂いた時の最初の印象は、とても明るいくつろげる雰囲気だなと感じました。優しい音楽が流れていて、部屋の隅々まで配慮がされている空間で、とても驚きました。

また、西田さん自身は本当にエネルギッシュな方で、どんどんビジョンを語って頂き、とてもいきいきと輝いておられました。

ファッションデザイナーから転向され、戸惑いながらも、高齢者の方に寄り添いながら、自分に何が求められているかを、深く深く考えて、どんどんサービスを拡充されていく姿は本当に圧倒されるばかりです。

また、「自分の夢」と「自分に求められること」を融合させ、自分の中でゆるぎないビジョンを作っていくという姿は、みなさんにも大きな希望を与えて頂けるではないでしょうか。

「私は私の全てを完璧に捧げています。役立つことなら、私の全てを使ってもらいたいと思ってます。ほとんど自分の時間はないです。でもそれが楽しい。 」という言葉はとても印象的で、生き方のヒントに満ち溢れていると思います。

今後、女性は男性に比べて長生きし、老齢期の女性数はどんどん増加していきます。その様な中、「女性が人生に求めているもの」に丁寧に耳を傾ける必要があります。その為、西田さんのような女性の起業家が、特に貴重な役割を果たす存在となることを、お話をお伺いしながら、ひしひしと感じました。

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