僕がスノックをつくった理由

コラム

今回、「どうしてスノックを設立したのですか?」というご質問を頂いた。

私の中でも言語化することができていなかった部分もあるので、今回自分の考えをまとめるチャンスだと感じたので、文章にしておきたいと思います。

自分の存在理由が分からない

まず最も根本的な理由というのは「僕自身の生きている理由を明らかにするため」という事になると思う。

皆さんの中にも経験がある方がいらっしゃるかもしれないが、僕は学生時代に初めて親元を離れ一人暮らし(厳密には寮暮らし)を始めた際に、全く自分の存在理由が分からなくなった。

それまでは親の庇護のもと、家族という見えない価値観のシールドの中で生活しておけば良かったので、そのことについて深く考える必要がなかったというところだろう。

しかし、初めて全てを思い通りにできるという環境になった時、何をしたいのか自分でも分からないし、これからの未来何をしていけば良いのか、生きている意味などないのではないかという強烈な 「 むなしさ 」 に覆われた。

結局当時は色々悩んだ末、「人生にもともと意味などなくて、今日一日・今を楽しく生きていくというのが人生だ」と自分なりに納得した。

社会人として働きだしてからの日々

それから社会の流れにのり、就職活動を開始した。

その時分はバブル崩壊のあおりをうけて、世の中は就職氷河期時代だった。

エントリーシートをどれだけ書いても面接まで辿り着くことは少なく、いつしか自分の目標が「少しでも良い企業に就職して働く」ということになってしまっていた様に思う。

自己分析という言葉があるが、その時の自己分析というのはいかにして目当ての企業に気に入られるかという為の自己分析であり、本当に自分が何をしたいのかという自己分析まで達していなかったというのが本音だ。

その後、なんとか無事に就職をし無我夢中に働いてきた。

働いていく中で転職も経験し、結婚、子どもの誕生ということも経験した。

自分の能力の無さに驚いたこともあるし、人間関係での大きな悩みも体験した。

会社の一部として認められることに精一杯だったし、社会が求める良い人となることにも一生懸命だった。

そして40代となった今、強烈に自分の生きている理由や働く理由を考える様になった。

一般的には中年クライシスというらしいが、今考えてみると学生時代に感じた「むなしさ」と同じようなことを感じたのではないかと思う。つまり、昔の宿題が今になってまた目の前に現れたともいえる。

仕事人生の前半は組織・上司・同僚・社外の関係者の中で、求められる組織の価値観を吸収し、それに順応し、スキルを取得することに精一杯だったし、それが自分の成長にも繋がると思っていた。

だが、40代になり自分の人生をふと立ち止まって考えた時に、「なぜ働くのか」ということについて、向き合わざるを得なかったのだと思う。

働くことを苦役にしないためには

リンダグラットンの「LIFESHIFT」という本の中に「オンディーヌの呪い」という言葉がでてくる。

「オンディーヌの呪い」とは、目が覚めている間は生きていられるが、寝てしまうとその瞬間に命を落とすという呪いの事だ。

リンダグラットンはこの呪いを「長期間働くこと」を表現することに使用している。

人生が100年時代となることで、働く期間がどんどん伸びる。

つまり死ぬまで永遠に働き続けないといけない時代がやってくる。

このことは、働くことを苦役として考えている人にとっては、働くこと自体がオンディーヌの呪いとなってしまいかねないということである。

ではどうすればオンディーヌの呪いから解放されるのか?

私が出した一つの答えは、仕事とは「本来もっと自由でわくわくするものだ」ということを理解し、実践するということだ。

ピラミッド型の組織のセクショナリズムの中で働くということは、既存の仕組みを大きく超えた解決策や、根本的な業務の存在理由などについて、ゼロベースで考え直すということは、あまり求められていない様に感じる。

なぜならそれは、そこで働く人の仕事を奪ってしまうことに繋がるから。

もちろんその様な根本的な問いを、すべての従業員が探し求めている組織もあるのかもしれないが、稀だと思う。

基本的には「やるべき業務」・「やらなければいけない業務」を遂行しているという人が多いのではないかと思う。

しかし僕が思う「オンディーヌの呪い」から解放される様な働き方というのは、「もっと自由でわくわくするような発想で、それを現実にさせていく時に生まれる感情」から生まれるのではないかと思う。

もちろんこれは個人差があるので、僕が単にそういったことが好きだということかもしれない。

NPOというのは、自分が大切だと思ったことにいち早く、先進的に取り組める組織である。

つまり「自由でわくわくするような出来事を考えて取り組む」という組織そのものなのだと思う。

まとめると、私がNPOを創った理由というのは、「自分自身がもっと自由でわくわくするような仕事をし、自分の人生を意義のあるものにする」ということになる。

学生時代に抱えた宿題(自分の生きる意味がわからないという宿題)の解決策は、その当時は、世の中の仕組みや自分の事を理解できず、どうして良いか分からなかったけど、今になって初めてその解決策が見えてきたとも言える。

これって”自己中心的”ですよねということになるが、大切なのは自由でわくわくするような働き方というのは、究極的には「社会への貢献」に繋がるのだということであると僕は信じている。(なぜ繋がるのかについては、長くなりそうなのでまた違う機会に考えてみたいと思う)

今、僕が感じている社会的な危機というのは、高齢者の激増と働く人の減少という未来である。

これを解決するような行動をとること自体がとても楽しいし、自分の存在理由を自分で認めることができるような気がする。

しかし、この僕自身の課題意識というのも日々のアクションの中で少しずつ変化するし、例えば環境問題や防災の課題にも興味が出てきている。

つまり究極的には仕事というものは、「自分が社会の為にやってみたいということをする」ということに尽きるのではないかと思う。

スノックという名前の由来について

また、スノックという名前の由来についても質問があった。

これについては恥ずかしながら、皆さんが求める様な深い意味はない。

社会人になって間もない頃に、友人達と作った勉強会の名前がスノックだったので、それをそのまま使用させて頂いている次第だ。

その時の主要なメンバーの氏名の頭文字が「S」「N」「O」「K」であったので、みんなで話あってその時の会の名前をスノックと命名した。

地域の会館の一室を借りて、誰かが議題を持ってきてお酒を飲みながら、ああだこうだと世の中のことについて話会うという場だったのだが、そこから様々な出会いも生まれたし、現実化はしなかったがスノックで起業しようという様な話もしていた。

なぜスノックという名前を使用したかと聞かれると、その当時の仲間との関係性のように、フラットな横の関係で、「自分達の問題」・「社会の問題」を考えることが出来るような様な場に、スノックがなればいいなという、僕の個人的な「願い」が含まれているのだと思う。

人によっては僕がしている行動は仕事じゃないよという人もいているかもしれませんが、僕は間違いなく仕事だと思っているし、世の中に良いインパクトを与えることができると信じています。

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