「LIFESPAN」という本を題材にして、読書会を開催した。
読書会の開催準備をする中で、自分が感じたことを書いておきたいと思う。
「LIFESPAN」でデビッド・A・シンクレアは「老化は治療ができる病気」であると定義し、健康寿命がこれから飛躍的に伸びることは間違いないという理論を展開している。
彼の理論が正しければ寿命がどんどん延びて、僕も150歳まで生きる可能性が無いとは言えない。
そこで、自分がもし150歳まで生きるとしたら何をするか?について考えてみた。
150歳まで生きるということは、自分に孫ができて、更にそのまた孫に会うことができるということ。
もし、孫の孫と一緒に世の中について話をする機会があるとしたら?
著者の言葉を借りるなら、孫の孫たちに
「自分たちがどう生きてきたかを証明する務めがある」
としたら?
自分が何を大切に思い、どんな仲間たちと、何をしてきたのかを胸を張って説明できるだろうか。
はっきり言って全く自信がない。
もし“今”、彼らにあって「私たちの為にどういう世界を創ろうとしてくれたの?」と聞かれたら、言葉に詰まってしまう。
「もちろん色々考えていたし、何かしないといけないとは思っていたけど・・・」と、しどろもどろになってしまうと思う。これはかなり格好悪い。
LIFESPANの言葉を借りると
「所詮その子の未来の為に、自分にたいしたことができるとは思えない」
と考えて生きてきたというのが本音だ。
著者は言う
「未来を他人事だと思っている」
「孫の孫にも会える社会における責任とモラル」
「誰がいつ何を受け取るべきか」これまでの期待を改めていかなくてはいけない
「みながどこに住み、どの様に暮らし、どういった規則のもとに生きていくか」を考えなければならない
うーん。大切だとは思うけど・・というところが正直な感想。
そこまで未来のことを心配して、色々と行動してみたと仮定して、もし自分が長生きしなかったら?自分が恩恵を受けるわけ訳じゃないし、死んだら何もかも無くなるとしたら、日々をハッピーに過ごせばいいんじゃないかなとか考えてしまう。
そんな風に思っていたところで
Piotr Feliks Grzywacz氏の次の言葉を思い出した。
人生を有意義に過ごすためには、「働き方は自分の意思で選ぶ」という意識を持つことが大切で、キーになるのは、「自分が仕事を通じて何を得たいのか」「世界にもたらしたい価値は何なのか」ということ。
「世界にもたらしたい価値は何なのか」というとすごく大げさに聞こえるけど、言い換えると「どんな世界だったらいいと思う?」ということなのかなと思う。
つまり日々をハッピーに過ごすためには、「自分自身がどんな世界だったらいいと思うか?」を理解することが大切ということかな。
自分が素敵だなと思う世界を創るために行動するということは、”自分なり”に未来に対する責任を果たすことにも繋がると思う。
こんな風に考えると、「自分の幸せ」と「未来への責任」が近くなる気がした。
じゃあ自分が考える「いい世界」ってどんなの?と考えてみた。
僕が考えるいい世界っていうのは、少し曖昧な言い方だけど「みんなが幸せに働いている世界」だと思う。
これなら150歳になった時、自分の孫たちに向かって、少しは誇れる話題ができているかもしれないなと、ちょっとだけ期待が持てた。
正直、LIFESPANの前半は教科書みたいな内容で、何回も挫折しかけたけど、寿命がこれから延びるという理由を理解できたし、信じることができた。
だからこそ、真剣に150歳まで生きたらどうしよう?ということを考えてみれたのだと思う。
おそらく著者の願いも、寿命が延びることが確実だと人々が理解することで、人が長期の視線を持ち、世の中が少しずつ良くなる方向に動き出してもらいたいということなのかなと思う。
皆さんもぜひ手に取ってみてください。
ただしかなり分厚いので、読むという決意が必要かもしれません(笑)
NPO法人スノック代表。大阪府枚方市在住。
最近は畑を借りて、野菜作りに邁進する日々。
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