失敗に対する上司や親の態度として、攻撃的な自己表現をする人がいる。
失敗に対してその失敗を責め立てるようなメッセージを発し続けると、次の様な悪循環に陥る。
失敗する⇒責められる⇒失敗を恐れる⇒消極的になる⇒体験の積み重ねが減る⇒失敗する⇒責められる・・・・
これは職場でも起こり得ることで、僕自身も実体験として非常に強く感じる。
このようなループに陥ると、失敗しないことが目的となってしまう。
新しいことに取り組むということは、失敗する可能性が高い。
失敗しないことが目的となってしまった人は、新しいことに取り組むことを過度に恐れるようになる。
体験の積み重ねが減るということは決定的に残念なことで、なぜなら体験の積み重ね=失敗した数こそが、何かを成し遂げる為には必須だからだ。
また自分自身が「失敗恐怖」に陥ってしまうと、自分の周囲の人に対しても「失敗恐怖」を押し付けてしまうことがある。
それは周囲の人の失敗を先回りして諭してあげることで、その人を失敗から守ってあげている様に一見は見えるが、実はその人の失敗するというチャンスを奪ってしまっているということになるのだと思う。
最近、人と話をしている時に、お金を使う価値があるものは何ですか?という話になった。
その人は迷うことなく「体験」だと言い切った。
恥ずかしながら度肝を抜かれた。
自分はどちらかというとビビりな方だと思うので、「新しい体験」=「失敗」というくらいで定義して、失敗した自分を褒めるくらいがちょうどいいのかもしれない。
NPO法人スノック所属。大阪府枚方市在住の40代。
趣味はタッチラグビー・畑での野菜作り・北欧の照明。
最近は健康増進のため、お灸について調べ中。
コメント