スタディーサークルが「民主的な社会」を作る

スタディサークル

【Folkbildningsrådetは非営利団体で、国からの補助金をスタディーサークル協会やフォルケハイスクールへ分配しています。今回は、広報&国際コーディネーターであるトール氏、フォルケハイスクールで働いているコリーン氏、補助金のコントロールを担当しているピーター氏から話を聞くことができました。】

スタディーサークルの歴史について

150年前のスウェーデンでは、多くの労働者は教育の機会を得ることができませんでした。そのような問題を解決するために、スウェーデンでは「自ら学ぶ場所」(スタディーサークル)が作られました。

学校教育とは距離を置き、「人としての経験に基づいて学ぶ」というのがその理念です。

スタディーサークルが学校教育と違う点は、労働のためのスキル習得が目的にあるのではなく、人として成長するために学ぶという点であり、対話を通して「みんなが一緒に学ぶ」ということです。

スタディーサークルが誕生する以前、人々は民主的な権利を得るために戦おうとしましたが、そのための知識が不足していました。知識を得るため、人々は学ぶための場所を自ら作り出そうとしました。そのような中で労働運動や禁酒運動などの大衆運動が各地で活発になりました。

さらには、政府もこのような活動の重要性を理解し、資金的に支援するようになったのです。

スウェーデンの民主主義は、人々が自らの手で勝ち取ったものと言えるでしょう。

スタディーサークルの考え方

スタディーサークルでは、対話の中で常に全員の意見が求められます。

また、「共に学び成長していく」ということが大切にされます。

このプロセスは、民主主義を育む方法へと発展してきました。

自身の人生をより良くするだけではなく、地域社会や、より大きなコミュニティに変化を起こすための手段になります。

このような学習スタイルは、正式な教育システムや就職にも影響を与えており、仕事の観点からも有益であるという側面もあります。

しかし「自分の人生をより楽しいものにする」「人と一緒に何かをする」という理由だけで、スタディーサークルをつくることもできるのです。

なぜなら、人生の意味は「働くこと」や「誰かの役に立つ」ことだけではありません。

スタディーサークルが、社会に対して直接的な意義、例えば教育や仕事に役立つというような側面を持たなかったしても、政府がその存在を「国民にとって重要なものである」と認めていることが大切です。

非常に小さなサークルの活動でさえ、人の生涯に影響を与える可能性があります。私の母はオペラが好きで、それに関するスタディーサークルに入っていますが、生涯にわたってそうした文化体験を楽しんでいます。

スタディーサークルとフォルケホイスコーレ

学校教育の中では「あなたは5年後何になりたい?何がしたい?」というような質問は、ほとんどされないでしょう。

例えば、音楽が自分の「人生を豊かにする手段」であると気づき、それによってなりたい自分に近づけるならば、音楽を続けることが「自分自身の幸せ」に直結します。

スウェーデンには、スタディーサークルの理念にも繋がっているフォルケホイスコーレという民衆学校があります。

そこに通う人の中には、通常の学校教育のシステムが合わなかったという人も多くいます。

彼らは学校教育の中で教師から「納得できないような規範」を押し付けられる環境にいた可能性があり、そのような場合、彼らの自尊心は低い傾向にあります。

フォルケホイスコーレの概念においては、初めに「何を自分自身が学びたい」のか、「どのように始めたいのか」を決めることができます。

一方、厳格な教育システムは「専門家を生み出す工場」のようなものです。そうした教育は変えていくべきですが、変化には時間がかかります。

先生や親の言うことに従ってきた子どもたちは「このページを読みなさい」「これをやりなさい」という言いつけを守ることが良いことだと考えます。

しかしフォルケホイスコーレでは、自分が「何をしたいのか」、「何を学びたいのか」、「何を話したいのか」を自分で言葉にする必要があります。これは簡単なことではないのです。

フォルケホイスコーレに通い始めると、自分自身のイメージに変化が起きたり、自信がついたり、また自分が抱いている夢は達成可能であることを理解するようになります。

フォルケホイスコーレに通っていたある生徒は「以前はいつも自分が愚かだと感じていた。今では自分に学べないことは何もないと理解することができた。私にとってそれこそが幸せであり、未来への信念のようなものです。」と言っていました。

このことは、音楽や歌、演劇から始めたとしても変わりません。そうした「気づき」が人として継続的な成長を与えてくれるのです。

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スタディーサークルの根幹

学校教育を受けてきた多くの人は、スタディーサークルで「何かを教えてもらえる」と考えるでしょう。しかし、実際はそうではありません。

スタディーサークルでは、全員で集まって独自の目標やテーマを設定し、全員がそれに同意した上で活動が始まります。

特定の誰かと協調関係になるのではなく、全員が一緒になって活動するということが重要です。

これによって、「民主的な社会」が形成されます。

スタディーサークルの活動はいわば人々が共に学び、成長するための訓練であり、そこでコミュニティがつくられることで、社会に対する「自分自身の影響力」を信じるようになります。

このことは「民主主義の根幹」のようなものなのです。

スウェーデンの民主主義のDNAの大部分を占めるのは、「人々が集まって学べば、何か小さな行動を起こせる」という信念であり、私たちはこのことを社会の様々なレベルにも適用できると考えています。

スタディーサークルリーダーの役割

スタディーサークルでのリーダーの役割は重要で、リーダーはそのためのトレーニングを受けています。トレーニングに対して、援助を行うのはスタディーサークル協会の役割です。

スウェーデンには9つのスタディーサークル協会があり、リーダーのトレーニングに関しては、これらのスタディーサークル協会が行います。

トレーニングではリーダーに対して何が期待されていて、どんなことを求められるのかについて説明がなされます。

スタディーサークルでは、リーダーが話を主導するのではなく、そのテーマについて全員が意見を話せるように促すことが大事です。また、どうすれば議論をより興味深いものにできるか常に考えます。

何も意見しない人に対して、発言を促すこともリーダーの役目の一つです。大きなグループでは話しにくい場合は、より小さなグループに分ける必要もあるでしょう。

スタディーサークルでは、全員で意見を出し合って学び、一緒に責任を取ります。誰かが誰かを非難するべきではありません。

「互いが互いから学ぶ」ということが大切なのです。こうした参加のプロセスを実行する責任を持つのがスタディーサークルリーダーです。

スタディーサークルを開催する場合、最初の日は大抵の人が不安を感じて動揺します。誰がこのスタディーサークルを主導しているのか、ここで何を得られるのか、中には「知識がないからどうすべきか分からない」「学ぶために来たのに」と考える人もいるでしょう。

多くの人は初めから、結果やプロセスを明確にしたがります。しかし、スタディーサークルの最終日には不確実性が可能性へと変わります。

自分の中には共有したいことがたくさんあり、他の人から学べることがたくさんあるということに気づくでしょう。ただ話をしたり、意見を交換することそのものに感心を持つかもしれません。

意見の相違や解釈の違いによって、摩擦が生じることもあると思います。そのため「お互いにどのように話し合い、協力していくべきか」というのをテーマに事前に話をしておくことも必要かもしれません。

衝突を避けるために、参加者の間で基本的なルールや約束事を設定することが必要です。

自分がどんな意見を持っていても良いように、他の人もそれぞれの意見を自由に持つことができます。

大切なのは、互いにそのことを尊重する心です。誰かが誰かを黙らせようとしたり、軽視することだけは決して受け入れてはなりません。

まずはグループの中で「平等」を実現するために行動しなければならないのです。

例えばメンバーの中に同性愛者がいたとします。同性愛者のことを嫌いだと言う人がいるならば、それは健全なサークルとは言えません。

ただし、同性愛について議論したり、互いの主張について話し合うことはできます。

私たちがスタディーサークルに対して支援する際、全員が安全に感じられるように組織づくりをし、誰もが参加できるようにしなければならないということを伝えます。

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スタディーサークルでは平等を重視する

スウェーデンは移民国家で、人口の20〜25%は移民の系統を受け継いでいます。人種差別を行わないという暗黙のルールがあるので、一定のラインを越えなければ議論は自由と考えて良いでしょう。

しかしながら、悲しいことに差別はまだ多くあります。人種差別を行わないという基本的なルールを知らない、または共有していないがためにサークルを抜けなければならない人が発生する場合もあります。

リーダーは誰かが葛藤や不快な思いしていないか、常に健全な議論ができているかを確認・把握することが必要です。そのためには、事前に決めたプロセスが重要で、これを基に随時チェックを行います。

ここで前提としているのは、人々は「平等」であるということです。

日本は封建的な歴史があり、階級的な側面もありますね。また、日本に「過労死」という言葉が存在することは、その社会の特殊性を表していると思います。

そうした社会に圧迫されている人々にこそ、スタディーサークルのような場が必要なはずです。

映画や読書に関するスタディーサークルなら始めやすいかもしれません。作品の内容についてみんなで話し合ったり、それぞれが感じたことについて意見を共有することもできます。

同じ作品でも、人によって感じることは違うはずです。議論を深めるために、その本や映画が社会にどのような影響を与える可能性があるのかなど、いくつかの質問を事前に準備しておいても良いでしょう。

プロジェクト参加者の感想

(Kさんの感想)大学生

・私の経験上、衝突を好まない日本人は自然と価値観の合う人とグループをつくり、反り合わない人同士は壁をつくってしまいがちです。スタディーサークルで議論をする場合には当然、価値観の合わない人同士が参加することもあるでしょう。しかし、あえて異なる価値観について議論することで新しい発見が生まれることは良くあります。ただし、それはどちらが正しいか決めるということではなく、互いが互いを理解しようと試みるスタンスがあってこそ成り立ちます。話し合いを始める前の段階で、この部分は特に注意して呼びかけておく必要がありそうです。

・フォルケホイスコーレとスタディーサークルの理念は密接に繋がっていることが分かりましたが、こうした教育のスタンスは特に日本で必要ではないかと思います。私自身もこれまでの教育課程で、自分が選択したいキャリアや幸福の考え方について分析する機会がほとんどありませんでした。大学に入って初めてありのままの自分と向き合い、やりたいことを理解しました。これはかなり矛盾していると思います。なぜなら大学の教育は、自身が専門的に学びたい分野を深く探究するために提供されるはずだからです。自分の学部の学びと、将来のやりたい仕事が一致しているのかさえ分からない学生も多いというのは非常に大きな問題だと思います。

スタディーサークルのトレーニング的な要素は、初めて参加する段階では必須だと思います。急に「自分の意見を言ってください」と言っても多くの人が戸惑うことは目に見えています。したがって、話しやすいテーマや、議論を深めやすいいくつかの質問で構成されたトレーニングのプロセスをつくってみても良いかもしれません。そして、これはリーダーの責任ですが、健全な議論のために必要な考え方、ルールをきちんと共有して納得を得ておくことが大切だと思います。

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