スウェーデンのスタディーサークル協会訪問

スタディサークル

NPO法人スノックではスウェーデンのスタディーサークルへの理解を深めるために、2024年3月に、スウェーデンの首都ストックホルムのスタディーサークル協会を訪問してきました。今回は第一弾として「Studieförbunden」の訪問記録を紹介させて頂きます。以下は「Studieförbunden」の担当者の方にインタビューした内容です。

スタディーサークルの歴史について

スタディーサークルの歴史

Studieförbundenは、スウェーデンのスタディーサークルを統括する組織であり、スタディーサークル活動に対しての研究調査や資金援助等の様々な支援を行っています。

100年前のスウェーデンでは、多くの人が教育を受けられない状況にありました。そうした中で教育の必要性に気づき、現在のフォルケホイスコーレやスタディーサークルの理念を生み出したのが、デンマークの聖職者であるグルントヴィでした。

彼は「人々が社会に積極的に参加するための教育」を行うべきと考えました。

初めてスタディーサークルとしての組織が設立した1903年当時、一定の収入や資産のある男性のみが選挙権を持っていました。これは当時の成人人口の約8%に過ぎません。当時のスウェーデンは民主主義国家とは程遠い状況だったのです。

1917年、第二次世界大戦を背景として民主党が総辞任したのをきっかけに、女性も含め平等な投票権を求める大運動が起こりました。そして 1921 年、ついにスウェーデンはすべての男性・女性による民主主義を獲得しました。

ただし、当時の労働者のほとんどは農民であり、その多くは教育を受けていませんでした。つまり、民主主義を正しく機能させるためには、全ての有権者が社会やその仕組みについて学習する必要があったのです。

教育の必要性に気づいた当初、現在の公教育的な学習の普及を試みました。しかし、そうした教育を行うには教員が不足していました。

そこで生まれたのが、「自分たち自身で学びを深め合っていく」という学習スタイルでした。これがスタディーサークルの原型と言われています。

現在、スウェーデンの約290の全ての自治体には何らかのスタディーサークルに関する団体があります。大きな都市から小さな田舎まで必ず何らかの団体が設置されている理由は、「誰もがスタディーサークルにアクセスできる必要がある」という考えに基づいているからです。


誰かがスタディーサークルを運営したいと思ったならば、私たちスタディーサークル協会がそれを支援します。なぜなら多くの場合、スタディーサークルリーダーは参加費を受け取らないためです。

ただし一部では、参加者が参加費を支払ったり、リーダーに報酬を支払う場合もあります。これは団体の活動内容によって、かかるコストも大幅に変わってくるためです。

例えば、犬と一緒にトレーニングをするというスタディーサークルを開催する場合は、犬が走る場所が必要になりますので多くのリソースが必要となり、参加費も高額になります。一方で本を読むだけのスタディーサークルだと、参加費は安価です。スタディーサークルの料金はいくらにでも設定できますが大部分は無料です。有料なのはごく一部の小さなグループで通常は安価です。

スタディーサークルの考え方

スタディーサークルにはいくつかのルールがあります。まず、少なくとも3人以上でなくてはなりません。2人ではグループと言えないからです。そして、20人を超えてはなりません。なぜならテーブルの周りに集まり、全ての人が対話に参加することが重要だからです。

また、そこで行われる議論は「非権威的」かつ「平等」なものでなくてはなりません。スタディーサークルにリーダーがいたとしても、先生や指導者的な立ち位置ではありません。

スタディーサーケルの理念は、参加者同士が「互いが互いの学習を助ける」ことで成り立つ双方向の学習であり、そこにヒエラルキーがあってはならないのです。

私たちはお互いの意見に耳を傾け、参加者それぞれが何かを発言をし、何かをテーブルに持ち寄ります。お互いの経験や価値観、意見を引き出し、お互いから学ぼうとするのです。

そこではすべての人が重要であり、自分の考えを持つということが最も大切です。そうすることで、グループの全員にとって、一方向ではなく双方向の学習が生まれます。

「あなたの意見は何ですか?」「あなたの経験は何ですか?」「これについて話し合ってまとめますか?」などのやりとりは非常に重要です。

スタディーサークルは一度だけで終了するのではなく、繰り返す必要があり、少なくとも 3 回は開催する必要があります。また少なくとも全体で 9 時間以上である必要があります。スタディーサークルを開催したのちに、それぞれが熟考する時間をとり、またスタディーサークルを開催します。

スタディーサークルは学校システムの一部ではありません。つまり、学校制度における教育制度とは別のものであり、学位を得ることはできません。スタディーサークルではカリキュラムも試験も学位もありません。また、何を勉強すべきかについても、他の誰かが決めてくれる訳ではありません。

スタディーサークルは民主的なグループであり、何を勉強するかは自分達で決定します。

ただ、特定のテーマが事前に決められている場合もあります。例えば「日本史に興味がある人が集まるグループですよ」ということをあらかじめアナウンスしておき、どのように学ぶのかを自分達で決めるという場合もあります。

一方で「今の社会の最大の課題は何か?」ということについて話し合うというグループを作ることもできます。そうすれば、民主的な方法で今の最大の課題について参加者同士で合意し、それについて学習することができます。

スタディーサークルでの学習の目的は職業を得るためではありません。配管工、看護師、教師になるための訓練を受けたい場合は、スタディーサークルに参加するのではなく、別の方法で行われます。しかしながらスタディーサークルへの参加が、結果的に就職に役立つということもあります。

スタディーサークルは「folk bildning」(民衆教育)のコンセプトであり、他の教育とは異なります。それは、啓発(エンライトメント)・個人の発展・自己内省です。成長をしながら人生をより良いものとしていくことが大きな目的です。

先ほども言いましたが、サークルには1人のリーダーがいます。リーダーは教師ではありません。この人が最も知識が豊富で他の人を助けることもありますが、「グループが自分たちで学習する」という点が特徴です。

スタディーサークルで勉強することの重要な作用は、グループで活動することで人々と出会い、社会とのつながりが得られることです。

スウェーデン政府がスタディーサークルを支援する理由

スウェーデン政府はスタディーサークルに何を期待し、支援しているのでしょうか。それには4つの理由があります。

まず一つ目は「民主主義を支援・強化する役割」です。

スタディーサークルに参加した人は、「他者を信頼し、自身が社会に影響を与え、また変化を起こすことができる」と感じるようになったというデータがあります。

2つ目の理由は、「多様な人々が学び、成長し、自分たちの生活に影響を与えることを支援する」ことです。

3つ目の理由は「教育格差の是正」です。高レベルの教育を受けている人もいれば、教育レベルが低い人もいます。これらの格差を減らす必要があります。

4つ目の理由は「文化」です。文化とは、音楽の演奏、演劇のダンス、さまざまな絵画、などの様々な種類の文化活動です。

これらの4つの理由が、スウェーデン政府がスタディーサークルにお金を支出する 4つの理由です。そして、お分かりのように、仕事を見つけることはリストにはありません。

スタディーサークルが民主主義を強化する

「民主主義を支援・強化する役割」という役割について、もう少し詳しく説明します。

スタディーサークル協会が行ったアンケート調査の結果、4人に1人は「グループで話すことが快適になった」、5人に1人は「自分の意見を表明するために利用している」、3人に1人は「他者の意見や価値観をより深く理解できるようになった」と回答しています。

これらは民主主義において重要なスキルです。

この結果が示していることは、「全員が学びの場に参加し、全員が全員の意見に耳を傾けながら学んでいく」というスタイルそのものが、「民主的なスキル」を構築する可能性があるということです。

これらはスタディーサークルで何を学ぶかは関係なく、スタディーサークルに参加すること自体で生まれるスキルです。

世界規模で見ても民主主義は衰退しています。民主主義の実現は、もちろん統治の方法にも左右されますが、言論の自由や組織の自由も重要なポイントです。つまり、あらゆる民主的権利が知らぬ間に失われている可能性があるのです。

重要なのは自分自身がコミュニティに属しているという感覚を得ることです。社会に対して不安を感じている時、自分だけが問題を抱えているような孤独感に襲われることがあるでしょう。しかし、人と集まって話をすることで希望が生まれるのです。

誰もが自分なりの考えを持ち、それをグループに対して発信することがスタディーサークルの在り方です。

重要なのは、私達の誰もが「自分の意見を表明する」ということです。多様な意見が発信されると、多くの「良い判断材料」や「アイデア」が提供されることになり、そのことが「良い決定」にも繋がるのです。

民主主義の国には、私たちに代わって意志決定を行う政治家やリーダーがいます。政治家やリーダーが「より多くの情報を得ることで、より良い決定を下す」ことができるのです。

ヒエラルキーは責任の所在を明らかにするためには必要です。決定した判断が正しかったとしても、間違っていたとしても、マネージャーにはその責任があります。しかし、責任を持って判断を下す立場にある人が、「より多くの情報を持っている」ということが重要なのです。

最終的に何か決断をしなければならない時に、その決定権がリーダーにあるとしても、リーダーは全員の意見を聞くことでより多くの情報を持っているべきなのです。

スウェーデンの民主主義を形成してきたのは、民衆の運動や組織・地域社会です。私達は、「私達、労働者が決めたい」「私達、冷静な人が決めたい」「私達、教会が決めたい」「私達自身が決めたい」と思っているのです。

様々なグループが独自の組織を持っており、それぞれの組織がそれぞれの異なる意見を持っています。私達はすべての人々の声を聞いたうえで、一緒に決定を下します。

民主主義が誕生したとき、「全ての人々の声を聞いて、全員で一緒になって決定を下す」という在り方が重要だったと言われていました。それは今日でも同じように重要です。

新しい法律が制定されるとき、政府は多くの市民社会団体に提案書を送付する必要があります。市民社会はそれらの提案書に回答します。より多くの情報が提供されることで、政府からの次の提案は更に良いものになります。政治家と市民グループとの間で様々な対話が行われ、それによって資料が改善され、より良い政策がもたらされるのです。

スタディーサークルが社会生活に与える影響

スタディーサークルが、社会や人々の社会生活にどのような影響を与えるかについてもう少し説明します。昨年私たちはスタディーサークルに参加した人々に、スタディーサークルが人生にとって何を意味するのかを尋ねました。アンケート結果では、10人中7人が「生活の質が向上した」、4人に1人が「孤独感が減った」、10人中6人が「大切なコミュニティができた」と回答しました。これは、他の人々と出会い、一緒に何かをするということが、人々の社会生活や人生の生き方において重要な役割を果たしているということを示しています。

日本でも同じことが言えますが、1人で孤独を感じている高齢者は少なくなりません。そのような人々にとっては、スタディーサークルは重要なコミュニティになり得るでしょう。さらに、障害を持つ人の中で2人に1人は「結果的に仕事を見つけるのに役立った」、10人中6人は「健康が改善した」、10人中9人は「大切なコミュニティがアクセスできるようになった」「スタディーサークル協会がなければ同様のことはできないだろう」と回答しています。つまり、この種の活動を見つけることができるのはスタディーサークルだけだということを示しています。

すべての人が力を得て、「私はこう思う」「これが私に必要なことだ」と言える可能性を持つことは、民主主義にとって大きなチャレンジでもあります。

これが、私達が考えていることであり、私達が必要としていることであり、私達が何者かということであります。こういったことを実現するため、私達はスタディーサークル協会で働いています。

プロジェクト参加者の感想

H(大学生)

・日本の歴史を振り返ったとき、一般市民に対しても広く教育を行うべきという民衆の動きは確かにありました。しかし結果的に普及したのが、中央集権的・国家主義的な教育であったことを考えると、グルントヴィが提唱したような教育の理念とは大きくかけ離れていたことが分かります。

しかし驚くべきは、100年前のスウェーデンで、国力を強化する目的でもなく(その目的を含む可能性はあるが)人々が社会に参加するため、すなわち民主的な社会を形成するために教育を行おうとしたという点です。スウェーデンと日本における参政権獲得の流れについてはほとんど同じことが言えますが、その背景や民衆の主体性は全く異なります。現在の日本に、仕事や進学に直結しない教育、あるいは民主主義の強化を目的とした教育機関がほとんど存在しないのもそれが理由だと考えています。簡単に言えば、スウェーデンは民衆が自ら行動した結果勝ち取った民主主義であるのに対し、日本のそれは政府によるコントロールや外部からの介入によって形骸化している側面が大きいということです。

・スタディーサークルが普及した背景に、政府関係者の助力があったというのは大きなポイントです。時間はかかるかもしれませんが、私たちの活動を徐々に広げながら、少しでも多くの人に感心を持ってもらうことが重要だと考えます。私は大学で政策学部に所属しており、同学部生の中には将来的に行政の仕事に関わりたいと考えている人も少なくありません。私はこれまで参加者の一人としてスノックの活動に携わっていましたが、これからは学生という立場から、若い世代にスタディーサークルの概念を広げるための行動を起こそうと考えています。所属している研究室の教授をはじめ、大学関係者の中にもこの活動について感心を持ってくれ人が必ずいるはずです。まずは、様々な人たちと意見交換を行い、行動する上での知識や情報を増やすことから始めます。

・私自身もスタディーサークルに初めて参加した際、未だかつてない感覚がありました。それは、「自分が心からそう思っている」という意見が求められ、本当にそれが議論の中で大切にされているという感覚です。初対面でありながら、自分自身が押さえていた感情をありのまま伝えたいとさえ感じました。また、実際に自分が一人で抱えていると思っていた悩みが、思わぬところで他者の経験と繋がり、深い共感を得ることができました。そして、「私も何か行動したい」「私も社会を変えられるかもしれない」という勇気と自信が湧いてくるのを感じました。人と集まって対話することで希望が生まれるというのはまさにこのことだと思います。だからこそ、多くの人に同様の経験をしてほしいと思うのです。社会に対して行動を起こすきっかけになるとすれば、それは民主主義の実現への第一歩です。

・代表者の下す最終的な決定が、より多くの人の意見に基づいているべき、というのは民主主義の正しいあり方として当たり前に思うかもしれませんが、間違いなく最も重要なことです。スタディーサークルがなぜ民主主義の形成に繋がるのかというのをこれまで呑み込めずにいましたが、スタディーサークルの理念そのものが、民主国家の模範的なあり方と繋がっているのだとようやく理解できました。つまり、多くの人の意見に耳を傾け、発言の機会を平等に与え、公平な判断を下すことが、リーダー(代表者=政治家)の役目です。対して、自分の意見を積極的に表明し、代表者に多くの情報を与えるというのが参加者(国民)の義務であるはずです。その部分を理解していない人は多いと思います。つまり黙っていても状況は変化しません。より良い社会をつくるには、国民が自ら行動を起こす必要があります。

・民主主義の形成とは別の役割もまた非常に重要です。それは生涯にわたって自らの生活を豊かにしてくれるコミュニティを持つということです。学生時代は部活動やサークル活動に簡単に参加することができ、孤独を感じることも少ないかもしれません。しかし、社会人になれば職場以外で新しい出会いを得る機会は減り、老後はさらに自発的に新しい活動をすることも難しくなります。人との関わりがなければ、自身が変化したり行動を起こすことも無意味に感じるでしょう。しかし、将来的にスタディーサークルが普及し、意義ある活動として国に認められるようになれば、政策的にそうしたコミュニティを増やすことが可能になると思います。学生時代には友達をつくる目的で部活やサークルに入る人もいるように、大人にもそういった場所があって良いのではないでしょうか。「学生時代=青春=人生で最も楽しかった時期」と捉えるのではなく、「一生青春」と言えるような社会になれば、日本がもっと幸福な国に近づくのではないかと思います。これらは空想や理想論に近いのかもしれませんが、スタディーサークルの概念が日本で広まることで、人々や社会に何かしらの変化が起こることは間違いないと確信しています。

R (スウェーデンに留学中の大学生)

・私は留学生と接する機会が多いため、通訳のお話をいただくまでスタディーサークルについて何も知らなかったが、スウェーデンの大学の授業でも、教え合う、(グループワークなどで)話し合って学生同士が互いに理解を深める、ということは多い。また、こちらで生活する中で、日本人がどれだけ各々の意思を持っていないか、を痛感させられることが多い

・「日本人」と括ってしまうのは主語が大きすぎるかもしれないが、例えばこの国では頻繁に市民によるデモが行われているし、例えば先日行われたEuro Visionでは、学生団体内でイベントが企画されたものの、イスラエル企業が関わる政治的な理由から開催に反対する声を表明する学生もいた。

・個人的な話ではあるが、スウェーデンの暗く寒い冬により鬱気味になった時期があった。その極限状態の中でも「楽しい」という感情を持てていたのは、人と関わる時、あるいは何かを学んでいる時、新しいことを知る時だった。

・定期的に集えるコミュニティの一員となり、ともに学べるこの環境が日本でも当たり前になれば、人々の生活はより豊かになると感じる。一方で、日本でスタディーサークルの概念を広めるにあたって障壁となるのは、日本社会そのもののあり方とワーキングカルチャーにあると考える。

・まず、日本(特に自分の生まれ育った首都圏)は圧倒的消費社会であるのに対し、スウェーデンでは人と過ごす時間そのものを大切にしたり、文化的活動やさまざまな領域を対象とした自主学習を趣味とする人が多かったりする。

・4月半ばには、年に1度、ストックホルム中の美術館や歴史的建造物が全ての人に無料開放されるKulturnatt, カルチャーナイトがあった。正直、東京でもしこのようなイベントが企画されても、参加者はあまり多くないのではないかと想像するので、ストックホルムでも参加者の数は高が知れているだろうと思っていた。しかし、気温2,3 度の中どの施設でも40分ほど並ばなければいけないほど多くの人がこの夜を楽しんでいて、良い意味で裏切られた。他にも、全く日本とは関係ない場で出会った人が、「興味があったから」「面白そうだったから」という理由で、日本語学習の経験を持っていたりすることもよくある。そして、日本で働く人はこれら文化的活動を楽しむ時間を持ちにくいのもまた事実だ。

・スウェーデンでは帰宅ラッシュが16時前後にある。17時にもなれば、平日でも、ビールを楽しんでいる人々でテラス席が埋まってしまう。18時過ぎでもミーティングが入る日本の働き方とは環境が大きく異なるので、空いた時間の使い方も異なるのは仕方がない。

(M 社会人)

・まずStudieförbundenのオフィスに入って驚いたのは、オフィスのおしゃれさと空間の居心地の良さであった。建物の外観はどちらかというと普通のアパートなのだが、オフィスのドアを開けた途端、外からは想像もできないような素晴らしいオフィスに度肝を抜かれた。会議室にもおしゃれな照明がしつらえられており、テーブルの上にはセンスの良い食器が並べられていた。表現するのはとても難しいが、その空間すべてが居心地が良いというか、豊かだなと感じた。一方で日本の自分の事務所の情景を考えてみると、本当に情けなくなるような環境だ。机の上には書類が散乱していて、会議室には無機質な蛍光灯があるのみ。テーブルや椅子についても決して使いごこちが良いものではなく、最低限使用できるという程度のものである。外部の方が訪問してもおしゃれなコップなどなく、自販機でコーヒーやお茶を買って出すくらいである。Studieförbundenのオフィスでは、そこにいる人に対しての敬意や優しさ、豊かさを表現しているように感じた。働く人に対しての敬意や感謝、働く同僚に対して少しでも良い環境で働いてもらいたい、そのような環境を一緒に作っていきたい、そのような環境を求めて良いのだ、という共通理解というものが根底にあるように感じた。言い換えれば「自分達で自分達に優しくする」という感覚だろうか。日本人はなぜかストイックになってしまっているように感じる。そこまで我慢する必要がないのに・・。

・Studieförbundenはスウェーデンのスタディーサークルをマネジメントする役割を持った組織であり、私が個人的に非常に興味のあった「スウェーデンでのスタディーサークルの存在意義」について研究をしている組織でもある。スウェーデンの国として「なぜスタディーサークルに対して財政支出をするのか?」という点について、明確に回答して頂いたのには驚いた。頂いたパワーポイントを再度見返してみると、「政府は非公式成人教育の支援に4つの目的を持っている」とした上で、下記をあげている。

  • 「民主主義の強化と発展に役立つ活動を支援する」
  • 「より多様な人々が自らの人生に影響を与え、社会の発展に参加するための関与を生み出すことを可能にすること」
  • 「教育格差を是正し、社会の学習と教育水準を向上させることに貢献する」
  • 「文化への関心を高め、参加を増やすことに貢献する」

個人的に最も興味を覚えたのは、目的の1つ目に「民主主義の強化と発展」という言葉を謳っているところである。日本に住んでいて今まで教育や学習の目的として「民主主義」という目的を聞いたことがない。もちろんこれは私自身があまり深く教育・学習ということを深く考えたり、調べたりしてこなかったということもあるが、一般的な人の感想として、教育・学習の目的は?と聞かれて、「民主主義」と答える人は日本では稀だと思う。「良い仕事につくため」「キャリアアップのため」「自分の興味を満たすため」という目的を答える人が多いのではないかと思う。また、スウェーデンでは「民主主義の発展」と「社会の発展」ということが強く結びついて理解されているように感じた。民主主義という土台があることによって、様々な人の意見が社会構造に反映されて、私達それぞれにとってよりよい社会がもたらされるという信念を感じた。日本では違和感を感じながら生きている人が多い印象がある。違和感を感じているのであれば、それを変えていくことが必要なのであるが、私自身も含めてなぜかその力が弱い。その力を生み出すためのキーワードが「民主主義」という価値観を再度認識しなおすことではないかと感じる。自分自身も社会で働きながら感じるのは、前例踏襲とヒエラルキーの強さである。意見があるのなら、まずは石の上にも3年我慢し、自分がその組織のやり方を理解し、少なくとも現在の手法ができるようになってから意見を言いなさいという無言の圧力があるように感じる。大切にすべきなのは、外部から見たときのその組織や決まり事に対する違和感であり、その違和感を貴重な意見だと捉え、それを組織内に取り入れる必要がある。そのためには、スタディーサークルが大切にしている「すべての参加者の意見を貴重なものだと捉え、参加者も自らの意見を表明することでその場に貢献し、みんなで方向性を見つけ出す」という価値観は、日本における違和感を解決していくための手段になりえると感じた。「すべての参加者の意見を貴重だと捉える」ことは、古参も新参も、役職が上位のものも役職がないものも、年配者も若者も、すべてのその場にいる人の意見を「大切にする」ということにつながる。そこでは違和感や根本的な疑問などが共有しやすくなり、「なぜそれをするのか?」「本当にそれをする必要があるのか?」「今最も大切なことは何か?」ということが議題に上がるかもしれない。そういった対話を通じて自分達で内省し、他人事にせず、迷いながらも方向性を模索することが、今の日本の社会を覆っている「どこを目指しているのか分からない」「間違った山を登っているのではないか」という違和感を解消していける唯一の望みのように感じる。

・担当者との対話の中で「ヒエラルキーの必要性」について聞くことができた。「社会の中でヒエラルキーが必要なのかどうか?」「スタディーサークルではヒエラルキーが必要ないというが、スウェーデン社会ではヒエラルキーは必要ないのか?」「必要であるのなら、なぜそれが必要なのか?」などについて質問した。

下記は対話の中での担当者の言葉であったので、個人的な意見として理解する必要はあるが、私としてはとても参考になった言葉であった。

  • ヒエラルキーは責任の所在を明らかにするためには必要。決定が間違っていたとしても正しかったとしてもリーダー・政治家・マネジャーに責任がある。
  • 責任を持って判断を下す立場にある人が、より多くの情報を持っているということが重要
  • 多様な意見が発信されると、多くの良い判断材料やアイデアがリーダーに提供されることになり、そのことが良い決定にも繋がる

ヒエラルキーが強い組織では、組織が硬直し、変化すべきなのに変化できないと一般的に言われます。この場合、意思決定者は様々な意見をヒアリングすることなく、自らの感覚や既知の情報や知識のみで意思決定をしている場合が多いのかもしれません。一方で意思決定者が「より多くの情報がある方がよりよい決定を下せる。より多くの情報を収集するためには、より多くの人の意見を聞くべきである」というスタイルを持っている場合は、集団としての多様な意見を意思決定に反映することができる可能性が高い様に感じます。古いリーダーのイメージとして自らの役職が上位にあるので、自分自身が偉いと感じたり、自分自身の考え方は間違っておらず、他の人の意見を聞き入れる必要がないというスタイルの人もいまだ多いように感じます。リーダーに求められるものは、様々な意見を引き出す場づくりや、多様な意見を調整し、よりよい解決策を模索する力なのだと感じました。

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