私の「夢」と「在留資格」 ニッキーさん

インタビュー

今回は、フィリピン人の両親のもと日本で生まれ育ったニッキーさんにお話を伺いました。「在留資格がない」という見えない壁に阻まれ、「声優」になるという夢を絶たれたニッキーさん。一人の人間が、社会から「ここに存在してはいけない」と突きつけられることの絶望感について語っていただきました。

 ニッキーさんの背景と「在留資格」について

本編に入る前に、ニッキーさんが置かれていた状況を整理します。

「在留資格」とは、外国人が日本に滞在し、活動するために必要な法的な資格のことです 。日本は「血統主義」を採っており、親のどちらかが日本国籍を持っていない限り、日本で生まれ育っても自動的に日本国籍を得ることはできません 。

ニッキーさんの両親はともにフィリピン人ですが、父親は彼が幼い頃に姿を消しました。当時、母親が在留資格を持っていなかったため、日本で生まれたにも関わらずニッキーさんは「日本にいてはいけない存在」として扱われることになったのです。

お母様は、警察や入管への恐怖から誰にも相談できませんでした。そのため、日本で10年以上暮らす子どもがいれば認められる可能性があった「在留特別許可」の存在を知ることができませんでした。結果、お母様はフィリピンに強制送還され、ニッキーさんは一人で日本に残され、家族は離散してしまいました 。

ニッキーさんはその後、日本人女性との結婚を機に在留資格を得ましたが、のちに離婚を経験します。現在は「定住者」として在留期間の更新を重ね、法的に日本での滞在が認められています。それでもなお、幼少期から青年期にかけて彼を縛り続けた「生きづらさ」は、今もその心に深い影を落としているのです。

インタビュー本編

僕は日本で生まれ育ちましたが、父も母もフィリピン人で、僕自身も外国人です 。幼少期の頃は、正直「生きづらさ」の実感はありませんでした 。

でも、小学校に上がる時に母親からずっと言われていたことがあったんです。

「小学校に上がったら、あまり問題を起こさないでね」と 。

友達と喧嘩をしたり、危ないことをしたりしないでほしいと言われました。「どうして?」と理由を聞くと「あなたにはビザがないから」と言われました。

「問題を起こしたら、警察に捕まって、私とあなたはフィリピンに帰される可能性が高い」 。子供心にその言葉の意味は完全には理解できませんでしたが、そのインパクトはあまりに強烈でした 。

それは僕にとって、「呪いの言葉」のようになってしまったんです 。

何か問題を起こして警察沙汰になったら、僕たちはフィリピンに帰されてしまう 。そう思うと、人と対面して向き合うことが怖くなりました 。そしていつしか、自分の意見を言うことで反発が起きるのを恐れ、相手の意見を聞くだけの、その場を笑ってやり過ごすような「受け身の性格」になっていきました 。

初めて持てた「声優」という夢と、立ちはだかる壁

周りの友達が将来の夢を語る中、僕には目標がありませんでした 。そんな僕が初めて夢を持てたのは、小学校5年生の時です 。

友達が描いたオリジナルの漫画を、僕が声に出して読んでいたところ、「声優になれるんじゃない?」と友達に言われたんです 。

そこで初めて「声優」という仕事を知り、それがいつしか僕の目標になっていきました。高校は、役者を目指すために舞台専攻のある学校を選びました 。

高校卒業後は東京の養成所に行き夢をかなえたい。そう考えて、アルバイトをしてお金を貯めようと決めました。しかし、大手チェーン店の採用面接を受けた時、初めて「在留資格」という壁にぶつかりました 。

「在留資格の証明書をもってきて」と店長さんに言われ、母に相談すると、なぜかひどく怒られたんです 。店長さんに「在留資格は提出できないみたいです」と正直に伝えると、「在留資格がないと、うちでは雇うことはできない」と言われました。結局、大手企業でのアルバイトは諦め、個人経営の居酒屋などを探して働くしかありませんでした 。

その後、頑張ってお金をためて声優の専門学校に通うことができました。努力した結果、オーディションで賞をいただき、学費の一部が免除になるなど少しずつ自信もついてきました。ある事務所養成校からは、「ぜひうちの養成校にきてもらいたい」というようなうれしいお声掛けもいただきました。自分の実力で夢をかなえることができる。そんな希望を持つことができるようになっていました。

オーディションでいただいた賞状

しかし、学校の先生との面談で現実を突きつけられました 。「在留資格の問題を解決しない限り、どこの事務所の養成所に行くにしても、就職するにしても、必ず壁にぶつかる。今まで以上に苦しい場面に出くわすよ」と 。

それを聞いた瞬間、頭が真っ白になりました 。「在留資格」がないという問題は僕がどう頑張っても解決できる問題ではないのです。母にも相談しました。どうにかして「在留資格」を得ることができないかと色々と動いてはくれたみたいなのですが、結局どうしようもなくなってしまいました。

自分が信じて、精一杯目標として、やっと手に届きそうになってきたものが、自分ではどうしようもない得体のしれない何かによって「取り上げられた感覚」でした 。

「自分の人生がハードすぎる」と感じました。

「じゃあ、僕の生きる価値って何なんだろう」ってその時からずっと考えていました。

そこから僕は、引きこもりがちになってしまいました。母親に対しても、なぜ自分をこんな状況にしたのかという「すごい強い憎しみ」が芽生えてしまい、2年ほどまともに話すこともなくなってしまいました。

失われた目標と、今伝えたいこと

成人してから、結婚や出産も経験しました 。けれど、自分の中にずっと「母への思い」や「外国人としての生きづらさ」が溜まっていて、どんな仕事をしても身が入らず、長続きしませんでした 。結局、一昨年には離婚も経験し、精神的にさらにしんどくなってしまいました 。

僕は日本人の妻と結婚したことで「在留資格」を得ることができたのですが、母は「在留資格」を得ることができず、強制送還されてしまい僕たちはバラバラになってしまいました。

今の感覚としては、今まで生きてきた中の「ツケ」がどんどん回ってきて、「他人に自分から接っしていこう」という気持ちが無くなってきているという実感があります。「生きづらさをずっと引きずったまま、生きていってるんだな」っていう感覚があります。

もし昔に戻って小学生5年生の「夢を初めて持った自分」にアドバイスできるなら、

「これから先辛いことや将来の事で悩んで泣き叫びそうな時が沢山あるけど、俺自身が夢を持って生きているんだから、挫けずに前を見てもっと誠実に誰よりも努力すること!

そして今のうちにしっかりと母と向き合って、ちゃんと自分の目標を伝えて、自信をつけて夢に突き進んで欲しい」

と伝えたいです。

「夢を持って目標に進んだ結果のこの生きづらさってすごく辛いな」と思います。

自分の経験したことはあまり人に話したことはなかったですが、僕と同じような境遇の人が助けを求められるように、今回話をさせていただきました。

もし一人で悩んでいて、他に相談できる場所がない場合は、外国人の支援を行っている団体(例えば、大阪のシナピスのような窓口)とつながることが本当に大切だと思います。

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